松山広視の絵画論

絵画における余白とは絵画を取り巻く環境である。 その環境は絵画の意味を決定づけるもので、その絵画がどう見えるのかを決めてしまう。私にとって余白(私の言う絵画を取り巻く環境)は絵画を構成するのに不可欠な要素となっており、そこに何が描かれているのかではなく、どう見えているのかが重要なのです。 余白とは間のことであると思う。間であるということはある物と物の間ということであるから、2つの物がそこにあるということになる。 1つは絵画、もう1つは絵画以外の世界ということになる。 この場合、絵画以外の世界が何かが問題となり、絵画を構成させるのです。 間とは無であり無とはあるゆる概念から離れ物事を注視することであり、私は私の行為(この場合絵を描くこと)によって無をつくり出しこの世を取り巻くあらゆる有の世界から抜け出そうとしているのです。 そして、その先には私自身の行為だけが残っているのです。

文 松山広視 MATSUYAMA Hiroshi